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ブログ05

ブログ05

神の息子の権威(ソロモン王の秘儀)

これが神の息子の権威なのだ。ソロモン王の秘儀も、おそらく、同じ事であると私は思う。

<インターネット文書・電子文書>

 ※蛇(HT)校長の霊に精神障害者1級にまで犯されて、障害年金暮らしに貶められてしまった童貞の元K県立Hろう学校高等部教諭&K県M市立K中学校教諭&K県F市立T中学校教諭&F中学校教諭が書いた文書です。何を言っているのかというと、アルバイトで、御給料をいただいている方々よりも、もっと下の地位の者が書いているという事です。上の地位ではないので、この文書のメス(主任)をやるという現実は絶対に有り得ないという事です。内的境地だけという事です。「位」だけの文書で、「地位」の有る文書ではないのです。インターネット文書・電子文書なのです。

 オスについて:世の中には、愛の無い、快楽を求めている婚前セックスを重ねる物達がいる。それらをオスと言う。ヒトには、大きく分けて、7つのチャクラが有ると言われています。一番下のチャクラは、臭いのチャクラと。或いは、怒りのチャクラと。動物達のように、クンクン、クンクンと臭いを楽しんでいる、或いは、わけもなく、怒ってばかりいるのが、一番下のヒトです。一番下のチャクラにしか、生命エネルギー=功徳のエネルギーが無い存在と。もう少し、生命エネルギー=功徳のエネルギーが貯まると、下から二番目のチャクラのヒトになる。盛りがついているオス、或いは、詩情・情感と。婚前セックスをしまくっていると、盛りがついているオス。我慢していると、詩情・情感と。

 処女は、このチャクラが閉鎖されている。父親の担任をし続けている。そのまま、婚前セックスをしなくて済めば、妻に成れる。婚前セックスをしてしまったら、妻には成れない。子にしかなれないのです。父親を背負っているのが妻、背負っていなければ、子と。そして、この婚前セックスの誘惑をするのが蛇と。この蛇の誘惑に負けて、婚前セックスをしてしまったら、堕落エヴァとなる。堕落エヴァは、父親の担任を持たされ続けて、どんどん、オスに転生していく。

 オスに転生して行っているミカエル&メスに転生して行っているI&YSの3人がいたと。その中で、一人、YSだけが、救われる可能性が有ったと。だから、私に助けを求めたと。他の二人は、もう無駄。性別が逆の外人に転生してしまっていたから。おそらく、3人とも転生してしまったら、お陀仏なのでしょう。しかし、神は、ギリギリのところで、非常に、非常に、非常に、細い道を残すのだ。即ち、非常に、非常に、非常に、細い道を神は開いているという事です。その道は、今、感じてみたのですが、おそらく、一万分の一よりももっと細い。即ち、神は、一万人に一人も救わないという事です。

 その時、YSは、男の子の人生の地位だった。その男の子達が、女に成っていったと。私が背負ったから。即ち、私が、息子の子育てをし続けていたという事です。その時、私がこれをして上げなければ、人類はお陀仏だったのです。自分の生存費用を全く払わないで、生きていく事は不可能だから。

 HK医師&IK医師&K県教委&F市教委&女校長のレベルでは、これを許さなかった。それらは、権力だから、子育てなどしない。人類の事などどうでもいい存在だから。機械だから、生き物の人類の事などどうでもいいのです。それらにとって、大事なのは、物=金だけなのです。人間の言葉が全く通じないから、機械化してしまっているという事は直ぐ、分かります。生き物ではなくて、物になっているのです。世界を殺してしまっている。物にしてしまっている。それらは、おそらく、詩情の世界を感じた時だけ、生きていると感じるのでしょう。普段は、生きているのではなくて、動いているのでしょう。社会人というのは、殺されているという感じを受けます。我慢しているのではなくて、死んでいるのです。この状態を、自分が生きている状態に戻して、勤務する事ができれば、人間と致しての仕事ができると私は思います。これができれば、何の仕事をしていても一緒なのです。社会の上の存在と致して、生きているから。私はこの状態で生きている者を人間と言っているのです。文化文明の全ての物を越えている存在だから。だから、万物を主管できると。

 これが本来の人間の状態なのですが、何故か、ヒトは、箱庭の社会に入り込んで、箱庭の中の非常にちっぽけなヒトをやっていると。そういうゲームをやっていると。??? 私には、籠の中の鳥に見える。籠の中の鳥は、ペット以外は、食用にされてしまうかもしれないのです。さらに、ペットというのは、御主人が気に入らなければ、保健所に持って行かれて、処分されてしまう存在と。ペットには、人権のようなものは、保障されていないのです。自然界は、弱肉強食の掟の世界と。この人類の箱庭の世界に於いて、ちょっと前には、二度の世界大戦が有った。即ち、明日の生命の保障は無いという事です。だから、私は、理想的な世の中を創る為に働く事は、勿論の事ですが、自分の明日は無いかもしれないというのも真実なので、その準備を毎日する必要が有ると思うのです。あの世が有ると思っている者達は。無いと思っている方々は、勿論、その準備は要らないと。死んだら無になるのだから。

大霊界13 悪魔と救世主 隈本確 弘文出版刊 定価1200円 からの引用

隈本 今後の人類は、どのような模索をしていったらよろしいのでしょうか。
第十一代埴山姫 それは、神の道以外にはありません。
隈本 神の道、たったこの一言では、多くの人たちは納得できないと思いますが。
第十一代埴山姫 これ以外、神からのことばはありません。なぜならば、神の道とは、一行や一ページの文章やことばであらわせるものではないからです。
 人間界での生活はわずか百年以内、その後の霊界での生活は永遠に近い、何十億年の生活です。人間の一生、すなわち人間界、霊界をとおしての永遠の生活の基本となる人間のあり方とは、やはり、霊界での生活のあり方にあります。それを、人間界にあるときにとりいれたものがのぞましいのです。霊界の最高の世界、神界、神への道です。
 人間は生まれてから霊界に旅立つまで、神の道を求め、その魂の修行をつむために肉体をもってこの現象界にいるのです。さすれば、朝おきて夜ねるまで、夜ねてから朝おきるまで、意識のあるなしにかかわらず、神の道を求めるのが人間のあり方ではないでしょうか。
 家庭にあっても職場にあってもどこにあっても、家事をしていても会社で仕事をしていてもなにをしていても、つねに神を思い、神とともにあれば、人間は、他の動物がもつことのない精神世界に自然のうちにどんどん神の知恵を吸収し、すばらしい人生の道を歩み、また、精神世界に住まう魂自体をも輝かせていくことができるのです。
 こうして、全人類がひとつになって神の道を求めるようになったならば、そのときこそ、全人類が「神の子」としての生涯を終えて、魂のふる里、天地創造の親神のいらっしゃる超神霊世界へと帰りつき、そこで、永遠の光の生活を送るという、人間「神の子」としての最高の目的を達成することができるでしょう。
隈本 わかりました。人間はなんのために生まれてきたのか、人間であるあいだになにを模索し、なにを学んでいくべきなのか、そして、どのような生き方をしていったらいいのか…と、ここに神の道の模索もあり、神の道もひらけてくるということなのでしょうね。

※私が思うに、人間には個性が有ると。だから、神の道というのは、人それぞれなのです。私は、掃除を殆ど全くしない。精神障害者1級にまで犯されてしまった現実を生きているから。現実を殆ど全くやる事ができないのです。清掃が神の道であると思っている方々は、この私の現実にきっと躓くであろう。しかし、もっと遥かに大きい規模で、大霊界の浄化を計り続けているのです。想念の転換という事を致し続けているから。万物の想念を転換するという事は、清掃と一緒ではないか? そうは思わないか? これが思想家の仕事なのです。今は、ブログを書くという事だけで、世界中に影響を与える事ができると。思想家にとって、ブログを書くという事だけで、御仕事ができるようになったのです。

 以前から言っていますが、神事で、お金を得るという事は、しない方が良いのです。信用貨幣制度下で、その値段がいくらになるか、全貌が見えないからです。私は金本位制、物々交換の価値観で生き続けてきました。これからもそう生き続けていきます。そうしてきたから、この極悪の蛇の罠・トラップを越え続ける事ができたと思われます。

 等価交換という事です。蛇がやり続けている事は、メスを奴隷にし続けるという事です。メスというのは、オス中心という事です。即ち、自分の責任を取らない存在という事です。得をしようとしている存在の事です。これがメスと。勿論、オスの方もそういうメスの思いなど、よくよくよく、承知致していると。だから、メスに心を許さないと。自分にとって、このメスを飼っている価値を感じなくなったら、即、切ると。蛇(HT)校長が、アダムの担任のMW教諭まで、切ってしまったように。確か、この蛇校長は、ミカエルの担任の教諭も、教務主任にして上げるという悪魔の誘惑をして、切ってしまっているのです。(おそらく、ミカエルは、教務主任にして上げると言われた時に、自分中心、即ち、サタン化してしまったのです。それまでの努力がパーと。それがH12年度?の事か? その試練に負けてしまったミカエルは、異動となったと。) ルーシェルの担任の教諭、再臨主の担任の教諭も確か、同様と。皆、メスの考え方だったのです。

 私は、日本人の一番下の地位を生きている者のさらに下の地位をやっている者が、本当の人生の地位の日本国首相であると思います。例えば、その者は、最重度身体障害者かもしれない。少なくても、勤務時間に、非童貞の首相は、その最重度身体障害者の肉体に触れる事ができなければならないと。私はこれをやれない首相は、人生の地位の首相ではないと思います。さらに、その病室で、飲食をなせなければならないとか等も思います。全日本人の下の地位をやれていれば、それができる筈なのだから。これが人生の地位なのです。下の地位をやっているから、重い業・カルマの者も背負えるという事です。これを権威とも言う。感動・感激の裏の徳積みと。これをやっていないと、蛇にナメられるのだ。「オマエの部下などやらないよ。」と。勿論、奥の奥の奥・上の上の上の境地に立って見れば、神が蛇という反面教師をやって、隙の無い本物の首相に育てているという事も言える。

 世の中は理想だけでは成り立っていないから。現実によって成り立っているのです。

 今日(8月28日(金))のCHANGEを見ていて、そう思いました。再放送なのですが、私は続きを知らない。しかし、どういう展開にならなければいけないのかは言える。職務上の上下関係から言って、「官房長官が、勝手に、首相に罷免された。」と会見を致しても、おそらく、無効なのではないか。だから、首相が、「私は罷免していません。」と言って、官房長官を背負い直さなければならないのである。首相が、官房長官に公衆の面前で、頭を下げて、「学ばせて下さい。」と言ったのは、明らかに間違っている。官房長官が、首相の上司にされてしまったから。勿論、官房長官は、首相の部下に決まっているのです。自分に反旗を翻した官房長官を懲戒して、背負い直して、(官房長官は自分の部下なのだから、部下がやった事は、勿論、上司である自分が責任を取るのです。官房長官に責任を取らせてはならないのだ。あたりまえの事です。)、本当の部下にするという事です。これが当然と。それまで、おそらく、保護者・親にしていたのだ。これは、職務上の地位からして、勿論、間違っているのだ。これが徳の差という事です。殿様の息子は、生まれた時から、次代殿様。専門家を使いは致しますが、人生の地位の支払いは、自分がするのだ。即ち、家老以下の専門家を全員、使いこなすのだ。否、使いこなせるようになるまでは、仕えよと。我が家系に仕えるのか、反旗を翻すのかという事です。

 これが神の息子の権威なのだ。ソロモン王の秘儀も、おそらく、同じ事であると私は思う。神の息子である事を選択するのだ。これがサタンを屈服させる秘儀であると私は思います。私にとっては、あたりまえの事ですが。神の息子と致して、生きているのだから。極悪党の蛇・サタン・悪魔が、その私を殺害するというのなら、いつでも、殺害致せばいいのだ。私は、19歳の時から、もう、自分を殺されてしまっているのだから。神の為に生きよと命令されてしまっているのだから。


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